栃尾の風土と越銘醸のお酒

越後 栃尾 越の鶴 の風土
越銘醸株式会社は長岡市栃尾にあり、会津との県境いにそびえる守門岳を源とする刈谷田川の上流、四方を山に囲まれた扇状の小さな盆地にあります。
栃尾は新潟でも有数の雪深い里です。日本海に発達する北西の季節風により多量の雪を降らせ豪雪となり、大雪の年には2~3メートルは積もります。 
スキー場に積もるパウダー状の雪質とは違い水分を多く含んだ重い雪のため、冬でも湿度が高く、半年は雪に埋もれます。この雪のため酒造りの期間は気温の高低差が少なく、零下になることは滅多にありません。氷の張ることも少なく、土蔵の中の温度は造りの期間中土蔵のまわりの雪で一定しています。これは酒造りにはこの上ない好条件なのです。

越後 栃尾 越の鶴 の歴史
栃尾は北南朝時代(1345年)より古志長尾氏が支配しており、天文12年(1543年)には長尾景虎がこの栃尾で勉学を修めた後、栃尾から初陣の旗を上げ、越後を平定し上越の春日山城へ移っています。これが後の上杉謙信です。謙信にとっても幼少期を過ごした生涯忘れ得ぬ土地であり、栃尾人の誇りでもあります。
江戸時代は長岡藩栃尾組の代官町として発達しました。明治元年(1868年)の戊辰戦争で幕府軍と新政府軍のはざまで抗戦があり、長岡藩は栃尾に退きました。当社は長岡藩の兵糧所として使われ、その時には長岡藩の資金千両箱が多く持ち込まれたと聞いています。その指揮官は八木朋直であり、その時の礼状が今も当社に残っています。

越後 栃尾 越の鶴 の酒造り
享保年間に創業の山家屋と、弘化2年(1845年)創業の山城屋が、昭和9年に合併して越銘醸株式会社をつくり現在にいたっています。
原料米は、地元で収穫される、芯白が大きく酒米として最適な五百万石。守門山系からの柔らな伏流水、作り手は辛抱強い越後人たち。
酒造りの難しさについて「毎年同じことをやっていても、なかなか同じものが出来なく、酒造りの完成に長い道のりを感じます。」と当社の浅野杜氏は話します。
小林社長は、酒造りを音楽に例えるなら「経営者は作曲家、杜氏は指揮者」と考えます。息の合った作り手たちの寒仕込みと伝統の製法を大切にして、11月~3月までじっくりと(越の鶴)を醸します。手間もコストもかかりますが、手づくりを軸にした今の醸造法を続けたいと考えています。
新潟はいい酒が多く、品質の競争の場としては大変恵まれています。そんな環境のなかで当社は、関東信越国税局の鑑評会で過去首席第1位を2回、金賞には連続18回入賞しています。

ここでは、越銘醸の酒造りの歴史を栃尾の町の変移になぞらえてお届けしていきます。数回の更新になりますので、時折越銘醸のページを覗いていただければ幸いです。

第1回 越銘醸の酒造りの始まり