第1回 越銘醸の酒造りの始まり

雪国の知恵、雁木が連なる雁木通りにあり、城下町特有の遺構でカギ形に曲がった武者隠しを抜けると越銘醸株式会社があります。酒造りの時期に城下町特有の風情薫る建物を見上げれば、蒸米作業から出る蒸気が勢い良く立ち上るのを見ることができます。越銘醸の酒蔵を訪れる際には、その外観からも酒造りの雰囲気を感じ取ることができますね。
さて、越銘醸が造る酒の歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。創業を1845年(弘化2年)。徳川家慶が江戸幕府第12代将軍を務めていた時期に、当時の醸造業免許制の1つである「酒造株」を、現当主である小林家の縁戚にあたる多田家より購入したところから始まりました。

その越銘醸の起こりに関わる「酒造株」について、簡単に説明しておきましょう。酒造株とは、将棋駒の形をした木製の鑑札の見た目をしています。表には、酒造人の名前と住所、そして酒造石高が記され、裏には「御勘定所」の文字、そして焼印が押してありました。これが酒造株と呼ばれるものです。そして日本史の中で「酒造株」を言うときには、この酒造株をとりまく制度全般を酒造株もしくは酒造株制度と呼ぶようになりました。
現代で酒といえば日本人はもちろんのこと、昨今は外国人からも日本の代表的な嗜好品として広く好まれるようになりました。しかし当時、東北や北陸などの北国諸藩においては身体を温めるための生活必需品として用いられたのが酒です。一方で、その酒を造る原料が収穫量の定められた限りある食材である「米」だけに、その配分については幕府の経済課題でもあったのです。そこで、酒蔵の規模や生産能力に合わせどのように配分するか、またすべての酒造が公平に米を仕入れることができるよう免許制にしたのが酒造株制度というわけです。
 今回はここまで。山家屋と山城屋が合併し、栃尾で第1号の株式会社設立となった越銘醸株式会社というだけあって、次回以降の更新も気になる話がいっぱいです。お見逃しなく。

ライター/小野寺